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小沢一郎:靖国発言の変遷・・進歩か?退化か?

メルマガ「頂門の一針」の533号に
「小沢発言の議事録」という面白い記事が載ってました。
以下、引用します。


 参議院地方行政委員会議事録
 昭和六十一年四月二日(水曜日)

 ○佐藤三吾君 
 そこで、もう一つ懸案の問題でお聞きしておきたいのですが、
 私は予算委員会で総理、官房長官にただしたのですが、
 なかなか慎重な答弁だった靖国の公式参拝の問題です。
 これについて、大臣はいわゆる群れをつくって行きますね。
 ことしもし公式参拝に行くなら行きますか。

 ○国務大臣(小沢一郎君)
 この問題につきましては、
 靖国神社は一般的に常識的に言って戦没者を祭っておる、
 その追悼ということで
 だれもが自然な気持ちで行くべきものであろうと思います。

 したがって、私も
 いわゆる自分のそのような気持ちがわいてきたとき、
 そして時間が許せば靖国神社の参拝は今までもしておりましたし、
 するつもりであります。

 ただ、こういう問題、基本的には私は余り形式張って
 考えるのはよくないんではないかと思っております。
 したがって、今までも私は学校の生徒みたいに
 みんなで一緒にという参拝の仕方はしておりません。

 自分にそういう気持ちがわいて、
 そして機会があって参拝をしたことは何度もございます。
 したがいまして、それは大臣になっても
 その気持ちは変わりありません。

 ○佐藤三吾君
 今あなたがおっしゃったように、
 自然にお参りするとかいうことはこれは当然だと思うんですね。
 私も兄貴が二人戦死していますから命日のときには参りますよ。

 しかし、そのことと
 いわゆる中曽根さんが言う公式参拝とは全然違うんですよ。
 去年は、竹下さんは朝一人で参って、
 また閣僚と一緒に同じ日に2回も参る。
 そういうことをやりますかと僕は聞いておるんです。

 ○国務大臣(小沢一郎君)
 今申し上げましたように、
 私は大臣になる前もそうでありましたし、
 大臣になりましても自然な気持ちでおりますので、
 大臣であろうがなかろうが
 そういうときことさら区別してしようとは思いません。

 ○佐藤三吾君
 それでは、公式参拝ということについてはいかがですか、
 認識は。

 ○国務大臣(小沢一郎君)
 公式参拝というのは、いわゆる国務大臣の任にある者が
 参拝するというケースを言うのであろうと思います。
 ですから、私の考えは国務大臣であろうがなかろうが、
 現在はなっておりますが、
 今申し上げたような気持ちで今後も行いたいと思っております。

 ○佐藤三吾君
 あそこにはA級戦犯も合祀されていますね。
 これについてはあなたはどういう認識ですか。

 ○国務大臣(小沢一郎君)
 基本的に、お国のために一生懸命、
 その是非は別といたしまして
 戦ってそれで亡くなった方でありますから、
 そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、
 また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。

 したがいまして、
 A級であろうがB級であろうがC級であろうが
 そういう問題ではないだろうと思っております。
 たまたま敗戦ということによって
 戦勝国によって戦犯という形でなされた人もいる。

 あるいは責任の度合いによって
 ABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、
 その責任論と私どもの素直な気持ちというのは
 これは別個に分けて考えていいんではないだろうかと
 いうふうに思っております。

 ○佐藤三吾君
 まあいいでしょう、あなたの率直な考えだからね。
 千鳥ヶ淵には参りますか。

 ○国務大臣(小沢一郎君)
 千鳥ヶ淵に今まで行ったこともありますが、
 靖国神社の方が今までも多かったと思います。
 何といいますか、自然な感じで
 靖国神社の方により多く足が向いたのであろうと思っております。

 ○佐藤三吾君
 あなたの大体の姿勢、考え方というのはわかりました。
 しかし、総理も言っておりましたが、
 A級戦犯の皆さんがなぜA級戦犯なのか、
 あなたBもAもCも区別ないような言い方をしておりましたが、
 それは中国にしても東南アジア諸国の皆さんにしてみても、
 これはまさに加害者ですからね。
 目の前で母や父を殺されていったという人たちが
 今四十、五十の一番その国を背負っている人たちです。
 こういった方々から見るとあなたのような理解にはならない。

 そういう意味では、今こそ日本というのは、
 どちらかといえば経済摩擦などいろいろ引き起こしておりますが、
 まさに国際協調なしには生きていけない国ですよ。
 それはあなたも認識されていると思うんです。

 とりわけアジアの諸国民の皆さんと連帯を深めていかない限り、
 日本列島何か国引きの神でもって
 アメリカの西海岸まで引っ張っていけばこれは別として。

 そんなことできないとすれば、
 一国の大臣としてアジアの皆さんの心を心として、
 同時に償っていくというものがなければいけないんじゃないかと
 私は思うんですよ。
 あなたの議論を聞いておるとそこら辺がちょっと
 欠けておるように思うんですが、そう受けとっていいですか。

 ○国務大臣(小沢一郎君)
 私は、委員会の席で
 私のいろいろなことを言っていいかどうかわかりませんが、
 基本的には日本はアジアの一員として生きていく以外にありませんし、
 またそういう位置づけが歴史的な経過の中で当然であろうと思います。

 また、それこそ民族的に言いましても
 あるいはいろいろな思想、哲学の範疇の中におきましても、
 基本的にそういった意味の連帯といいますか、考え方といいますか、
 それはお互いアジア人の、アジアの国の中が一番理解しやすい、
 わかりやすい連帯の中にあると思います。

 現実問題としての経済問題、政治問題、
 そういう点のアメリカという認識は
 これまた別のことであろうと思いますけれども、
 私はそういう意味で靖国の問題も対外的に考えれば
 その戦犯というものの本質の議論とは別といたしまして、
 アジアの諸国民の感情を害したりするようなケースが
 あるであろうということは十分私も理解いたしております。

 しかし、私の考え方としては、
 対外的に言えば一戦犯の責任で
 済むという話ではないであろうと思います。

 したがいまして、これは国と国ということであれば、
 日本人全部が、日本国民がお互いに責任を負って、
 その中で、歴史のいろんな悲惨な状況が
 繰り返し起きておりますけれども、
 今後、本当にアジアの中の日本としての連帯と友好を
 お互いが保ち合っていかなければならない。
 その点につきましては、先生と全く同じ考えてあります。



小沢氏、昭和61年の発言です。
今からちょうど20年前ですけど、
人の信念というのはこうも変化するものでしょうか

一応、国会の議事録を覗いて、
ソースが正確であることは確認済みです。

国会会議録検索システム(国立国会図書館ホームページ)

要は「敗戦責任の捉え方」なんでしょうが、
う~ん、これは退化なんでしょうか?
進歩なんでしょうか?
ポリシーってこうも変化するものなんでしょうか?



関連メルマガ

渡部亮次郎の「頂門の一針」






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