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海上通商路の途絶と国家の死・・1945年8月

北朝鮮の核実験により、
日米を主導とした北包囲網が着々と構築されています。

この包囲網の鍵は
中韓の協力にあると言われていますが、
及び腰の韓国はともかく、
意外な中国の強硬姿勢が世界の耳目を引きつけています。

私は、この崖っぷちに追い込まれ、
国家経済や社会体制が崩壊寸前にある北朝鮮を見ていると
ふと、1945年の敗戦間際の日本がだぶって映ってしまいます。

まあ、あの大日本帝国と
北朝鮮を同一視する気など毛頭ありませんが、
包囲網によって通商路を途絶されたという点ではよく似ています。

あの時代の、あのシーレーンの死闘について。
今日は書いてみます。


<通商と資源>

江戸時代の日本の人口は3千万人。
古代から幾多の変遷を経て人口が着実に増加していった日本ですが
江戸中期にこの人口規模に達して以来、
これ以上の増加はありませんでした。

少しでも人口がこの水準から増えようとすると
必ず災害や飢饉で人口が減少する。
江戸時代中期から幕末にかけて
日本の人口規模は、この小刻みな増減を繰り返していました。

鎖国により食料とエネルギーの
国内での完全自給体制にある日本列島では、
可養人口は3千万が精一杯だったわけです。

ところが明治維新後の開国政策により、
日本の人口は爆発的に増加していきます。
そして前大戦時には日本内地の人口は
最終的には8千万人に達していました。

このプラス5千万人は、
日本が通商と貿易により
海外からエネルギーや食料を輸入することにより、
増加が可能になったものです。

つまり、この狭隘な列島においては
3千万人以上の人口を養っていくには
海外との通商路の確保が不可欠だということ。
それが確保できなければ
数千万人は飢えて死ぬしかないということ。

第二次大戦直前での
日本の海外への主要資源の依存率は、

 石油:92%
 石炭:7%
 ゴム:100%
 ボーキサイト:100%
 錫:71%
 銅:43%
 鉄鉱:87%
 ニッケル:100%
 マンガン:68%

という状況で、
かろうじて自給できているのは石炭のみで
他の多くは海外からの輸入に頼っていました。

1941夏、日本陸軍は南部仏印に進駐。
これに反発した米英中蘭により、ABCD包囲網が敷かれ、
石油と鉄の輸入が途絶されました。

特に石油の輸入が止まったことは死活問題であり、
これが1941年12月の開戦につながります。

当時の日本は
軍と民間を合わせて1000総トン以上の船舶を
620万総トン保有していました。
これは英国の三分の一以下であり、
同じ島国の海洋国家であっても日本の基盤は脆いものでした。

また、政府によれば、
全船舶のうち、最低300万総トンを民間用に回さなければ、
資源・エネルギーの輸入に
支障が生じるとの試算結果がでていました。

ただ、戦争ですから
民間船舶であっても攻撃の対象となるわけで、
そのうち一定量は沈没・損傷は覚悟しなければならない。
その分は船舶を新造することで補っていく。

日本政府及び海軍の開戦前の試算によれば、
戦争一年目から二年目は損害量が造船量を上回るが、
戦争三年目には戦時経済体制がフル稼働に入り、
造船量が損害を凌駕すると予想していました。

まあ、後から考えれば実に甘く、
主観と願望に満ちた予測でした。
現実ははるかに厳しく、悲惨なものとなりました。


<シーレーンの死闘>

1941年12月、
日本海軍機動部隊はハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、
ここに大日本帝国は米英と戦争状態に入ります。

緒戦は陸海軍共に快進撃であり、
日本はフィリピン・インドネシア・マレーシア等を占領し、
南方の資源多産地帯の制圧と
それに至るシーレーン(海上通商路)の確保に成功します。

一方の米軍は開戦時の大敗北で撤退を余儀なくされ、
この日本の通商路を攻撃すべき潜水艦隊も
戦術と兵器の杜撰さから
まともな運用が成されていませんでした。

当時の日本海軍は
「艦隊決戦主義」が主たる戦術思想となっており、
民間商船の護衛などを軽視していました。

しかし、占領地の拡大と南方との長大な通商路を守るため、
1942年4月にようやく専門の海上護衛部隊が結成されます。
しかし、内実は旧式の小型艦船を十数隻配しただけで、
これで長大な海上補給線を維持することは不可能でした。

やがて米海軍は戦術の転換と兵器の一新を行い、
日本のシーレーン破壊を意図し始めます。
ガトー級潜水艦の大量建造が始まり、
ドイツの潜水艦戦術である、
「ウルフパック」という集団襲撃戦術が採用されました。

この効果は徐々に表れ、
1942年から43年に日本船舶の被害は急増していきます。

もちろん、戦闘による軍艦の損害もありましたが、
それ以上に米潜水艦による民間商船などの輸送船舶の損害が
あまりにも大きすぎました。

1943年の一年間で
日本は船舶176万総トンを失い、
これは開戦前の損害予想の2倍以上です。
一方、この年に建造された船舶は80万総トンでした。

結果、民間船舶は
最低必要量の300万総トンをはるかに下回り、
200万総トンにまで落ち込みました。

なかでも米潜水艦に狙われたのがタンカーで、
南方からの石油輸入ルートは危機に瀕し、
1942年に南方で産出された石油2500万バーレルのうち、
日本本土に運ばれたのは800万バーレル。
翌43年は4900万バーレルのうち、980万バーレル。
結果、日本国内の石油備蓄量は
開戦時の4300万バーレルから
わずか350万バーレルにまで落ち込みます。

当然、日本の産業は大打撃を受け、
民需は戦時経済体制が確立した1943年をピークにして
後は奈落の底に落ちるように転落していきます。

また、産業のみならず、
石油不足は陸海軍の行動を制約し、
ことに海軍はこれに悩まされます。
肝心の戦闘時での艦船燃料の逼迫が常に作戦の足を引っ張り続け、
特に航空機搭乗員の訓練不足は致命的な打撃となりました。

この状況に慌てた海軍は
海上護衛部隊の拡充に乗り出し、
1944年に海上護衛総隊司令部を創設し、
小型海防艦の大量建造、
レーダーを搭載した対潜哨戒機の配備、
さらには軽空母4隻を商船の護衛に回しました。

これらの努力により、
増加の一途を辿った米潜による船舶の被害量も
1944年春には始めて減少へと向かい、
特に2月には米潜3隻撃沈という戦果を上げます。


<衰亡する国家>

しかし、海上護衛部隊の死闘を余所に
戦局は悪化していきます。

1944年6月のマリアナ沖海戦、
台湾沖航空戦と10月のレイテ湾海戦により、
帝国海軍の主力艦隊はほぼ壊滅、
サイパンとフィリピンは米軍により占領されました。

これにより、日本の南方からのシーレーンは分断され、
南シナ海は米潜水艦の海となりました。

結果、日本船舶の損害量も再び増加し、
月平均20万総トンレベルに達し、
1944年9月は40万総トン、10月には50万総トン、
最終的に1944年は380万総トンの損害を出しました。

この年に南方で産出した石油3600万バーレルのうち、
日本にまで輸送されたのは160万バーレルのみ。
主エネルギー源たる石油の途絶は
日本経済に最後のとどめを刺したようなものでした。
この影響を受けて、日本国内での鉄製品とアルミの生産は
前年比で22%にまで落ち込みました。

この時期の船舶の損害は、潜水艦によるもの以外に、
航空機による被害も急増し始めます。
日本軍の制海権と制空権喪失の影響がハッキリと現れ始めました。

1945年2月、小笠原諸島の硫黄島に米軍が上陸、
激闘のうえ、これを占領します。
4月、沖縄の戦闘の開始、そして死闘と敗北。

ここに日本のシーレーンは
日本海での大陸との細々としたルート以外は完全に遮断されました。
朝鮮半島とのルートも命がけの航路となり、
豊後水道や東京湾の鼻先にまで米潜が跳梁します。

また、B29による爆撃により
日本の主要都市はほぼ灰燼にひし、
房総半島沖にまで米艦隊が接近し、艦砲射撃を加えます。

さらにB29は日本の港湾の沖合に機雷を大量に投下し、
これは地方の小港にまで及び、
漁船の出港ですら危険な状態となります。

そして1945年8月。
大日本帝国は断末魔にあえいでいました。
エネルギーの途絶と経済の崩壊。
インフラの破壊と国家の衰亡。

やがて広島と長崎に原爆が投下され、
千島と満州にはソ連軍がなだれ込んで来ました。
一方の軍部強硬派は本土決戦を呼号してましたが、
軍需産業はすでに壊滅し、食料の配給すらままならず、
すでに帝国は瀕死の状態に陥ってました。

シーレーンの途絶は
この極東の海洋国家に死をもたらしました。


この敗北への過程は
日本人にとってつらく悲しい過去ですが、
あらためてシーレーンの重要性と
通商と加工貿易により
この国は成り立っているということを思い知らされます。

我らの目前において
北朝鮮の国家経済の崩壊が進行中ですが、
ついつい半世紀前の
日本のシーレーンの途絶を想起してしまいます。






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