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ロシア:愛国主義の光と影 その1・・ネオナチの急増

毒殺未遂のロシア保安局元幹部が死亡

 亡命先のロンドンで毒殺未遂にあった、
 ロシア連邦保安局(FSB)の元幹部、
 アレクサンドル・リトビネンコ氏が23日夜(日本時間24日朝)、
 入院先の病院で死去した。
 タリウム中毒に近い症状を起こして治療を受けていたが、
 容体が急変した。
 警察当局は捜査を継続する方針だが、
 病院では毒物は特定できないとしており、
 事件解明は一層困難になった。
 
   (iza!)


この事件、世評が言うように
おそらく犯人はロシアの国家機関でしょう。

具体的にFSB(KGBの後継機関)の犯行なのかは分かりませんが、
毒殺とは何とも荒っぽいことをやらかすものです。
ここらへんのスマートでないやり口を見ると、
FSBではなく別の機関、
チェチェン絡みでGRU(軍の諜報機関)が下手人かもしれません。

さて、最近のロシアは大国化に向けて驀進中です。
石油高騰の恩恵とプーチンの強権路線で
一頃のエリツィン時代の停滞状況とはうって変わり、
国際的にも発言力を強めています。

しかし、資源を武器とした強引なまでの外交や
国内では民主主義・自由主義に対する締め付けが始まっています。

今日はこのロシアの政情で
私が最近気になっている2つの動きについて書きます。
それはロシアにおけるネオナチの急増と
プーチン政権の私兵組織「ナーシ」についてです。

長いので今回と次回の2回に分けました。


<ネオナチの急増>

第二次大戦においてナチスドイツと戦ったロシア人ですが、
今、皮肉にもネオナチの急増に頭を悩ませています。

かつての仇敵であるヒットラーを崇拝し、
頭をスキンヘッドにし、
ナチスの服装に身を包むロシアの若者達。
彼らは排他的な民族主義に傾倒し、
かつての共産主義に代わる思想として、
ナチズム(国家社会主義)に心を引かれています。

この過激なネオナチグループは
全世界で20万人いると推計されていますが、
このうち5万人がロシアにいて
その中の1万5千人がサンクトペテルブルグに集中しています。

サンクトペテルブルグはプーチンの故郷であると同時に
「スキンヘッドが世界で最も多い町」と言われており、
アジア・アフリカ系住民への襲撃事件が頻発しています。

もともとロシアにネオナチが浸透したのはソ連邦解体直後。
欧州のネオナチグループの影響を受けた若者が増え、
その数は90年代年半ばまでに約千人を数えました。
機関誌を発行するとともにサンクトペテルブルクなどに進出。
その後、急速に人数が増え、
98年までにモスクワだけで約20の組織が
当局によって確認されています。

94年に始まり、その後泥沼化したチェチェン紛争、
中央アジアなどからの移民流入の増大、
そして98年の経済危機によりネオナチは急速に拡大しました。

90年代のネオナチグループの急増は
主に経済不況による貧困・失業が原因でしたが、
最近の傾向は、プーチン政権の打ち出すロシア愛国主義が、
若者の心を外国人排斥に煽り立てて、
やがてネオナチに行き着くというパターンです。

このロシアのネオナチ組織の特徴は
内部では軍隊のような規律と統制が行われていることです。
酒をかっくらって乱行する不潔な連中かと思いきや、
意外というべきか「ナチスのような規律」で組織を律しています。

ソ連崩壊後の道徳価値の低下が著しいロシア社会の中で、
彼らは禁酒、禁煙、上官への服従などの
規律を守りながら集団行動を行っています。

実はこの淵源はナチスというよりも
ソ連時代の青少年教育システムにあります。
ソ連時代、子供たちは共産党の教育システムに加入し、
年齢ごとに、一年生以上の生徒が加入するオクチャブリ、
三年生からのピオネール、
そして青年組織であるコムサモールに属しました。

ここで子供達は集団行動と規律を学び、思想教育を受け、
共産党は未来の人材を育成していました。

ネオナチも同様で
ソ連崩壊後の青少年の教育システムが不在の中、
組織の指導者らがコムサモールなどをモデルに、
この統制システムを作り上げたのです。

実際にモスクワ郊外のいくつかの町では
ネオナチ組織が自警団を作り、街頭パトロールなどを行い、
住民達に受け入れられています。

ここが欧州などでよく見られる、
不良で乱行のネオナチグループとの違いです。
逆にその意味では彼らの組織拡張が
社会的に半ば許容されている恐い側面があるわけです。

ただし、この規律あるネオナチグループも
当然ながら外国人、特にアジア系や黒人系には容赦しません。

2001年4月21日、ヒトラーの誕生日の翌日、
モスクワの自由市場をネオナチの若者約150人が襲撃し、
カフカス系商人10人を負傷させたほか、露店15軒を破壊しました。
世間を驚かせたのはこの若者たちの大半が
14歳から16歳の少年だったことでした。
ここからネオナチによる大規模な襲撃事件が始まっていきます。

同年10月、同じくモスクワで約300人のネオナチループが
市南部にあるツァリツィノ市場になだれ込み、
鉄棒や割れたビール瓶でカフカス系を中心とする外国人を襲撃し
3人を殺害しました。
警察に検挙されたスキンヘッドの若者の多くは、
上着の袖に、カギ十字に似たシンボルマークをつけていました。

2002年6月9日、
サッカーのワールドカップ(W杯)日本対ロシア戦が行われ、
ロシアの敗北が決まるとモスクワのフーリガンが暴徒と化しました。

1人が死亡、100人以上が負傷、
放火された車が7台、逮捕されたのは130人。
数千の暴徒がモスクワの中心で暴れ回り、
その映像は、ロシアだけでなく世界に衝撃を与えましたが、
実はこの暴動はネオナチの扇動によるものでした。

この後、ネオナチによる大規模犯罪は
モスクワとサンクトペテルブルグを中心に年中行事と化し、
プーチン政権は危機感を強めていきます。

2006年11月4日。
この日はプーチンが旧革命記念日(11月7日)に代わり制定した、
「国民団結の日」の日でした。

愛国主義を強調するプーチン政権にとっては重要な日で、
国威発揚を目的としたパレードなどが
ロシア各地で企画されていましたが、
結局、外国人排斥などを主張するネオナチの襲撃を恐れ、
各地で開催が中止となってしまいました。

実は前年の記念日に
ネオナチがモスクワなどで大規模なデモを行い、
チェチェン人などのカフカス系住民や、
中央アジア系住民との衝突事件を引き起こしたからでした。

ネオナチの暴威は年々拡大しており、
ロシア発の外国人襲撃事件のニュースを聞くことは
もはや珍しいことではなくなりました。

このグループは
意外なことにロシアの若年層の中に浸透しており、
その規律と統制で人心をつかみ始めています。


さて、上述したように、当初は
経済危機による貧困が原因と見られていたネオナチの拡大が
実はその下地にプーチン政権が鼓吹する、
愛国主義の煽りがあることが次第に明らかになってきました。

慌てたプーチンは愛国思想の鼓舞を抑制していくと共に、
ある若者の集団を組織し、
ネオナチなどの極右・極左グループと対抗させると共に、
政権の私兵づくりを着々と進めています。

次回はこのヒットラーユーゲントまがいの組織、
「ナーシ」について書きます。


   <続く>



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